神さまのような少年のような君へ

沼をのぞき込む間もなく気づいたら落ちている日々

ハリウッドに行かないと決めた日

宮近海斗くんを自担に掲げるオタクになった。

 

特別にロマンチックな出会いだったというわけではないけれど、書き残しておきたいな、と急に思い立ったので書く。だって「わたしと宮近海斗くんの話」ができるのはわたしだけだから。それに、記憶がどんどん不確かになっていくのはもったいない。

人生で初めて自担と呼んだ人から担降りし、神さまのような少年のような男の子に照準を定めてそろそろ3ヶ月になる。いまだにちゃかちゃんを語る語彙は足りないまま。でも、最近は少しずつ宮近担としての自我が育ってきているのを感じている。

 

Travis Japanのことを見始めたのは、2019年5月。Snow Man、なにわ男子と合同でのコンサート『ジャニーズIsLAND Festival』の直前だった。当時はデビュー組の側からJr.をチラチラと覗いていたわけだけど、Jr.の中で一番よく見ていたのはSnow Manだった。なにわ男子のこともほんのり知っていた(関西出のオタクゆえ)。せっかく配信を買うんだからTravis Japanのことも知っておくべきだなと思って、YouTubeを見てみたのが最初だったと思う。企画ものはゆるっとおもしろくて、ダンス動画は圧巻。順調にトラジャが気になりはじめた状態で迎えたたまアリ公演では、YouTubeで見ていた定点カメラのダンス動画とは比べ物にならないぐらいのステージパフォーマンスの熱量に、圧倒されたのをよく覚えている。

このときのわたしはデビュー組担のDDで、ちゃかちゃんは"誰でも大好き"のうちの1人。なんならトラジャ7人全員そう。トラジャ内での推しすら決められないでいた。そもそもこちとらダンスがいいなと思う人を好きになりがちなんですよ。あのダンススキルバグり集団Travis Japanの中で君がNo.1♪を決めるのがどれほど難しいことか……最初に気になったのはしめちゃんだったし、たまアリ公演ではまつくのことを見てたし、スノストトラの合同YouTubeで黒髪フープピアスのちゃかちゃんに湧いてた(わたしはテニプリだと財前光が一番好きなんだ)。とまあそんな具合に、Travis Japanのこともほんのり箱推しするようになっていった。

 

夏は海外におり、その間ジャニーズとの距離を少し置いていた。デビュー組の情報は追わず、ジャニーズとの接点はほぼYouTubeのみ、スノとトラジャをごくゆるく追いかける生活していた。

そんな中迎えた8月8日。『ジャニーズJr.8・8祭り ~東京ドームから始まる~』。「世界中の人たちとこの記念すべき一夜限りの伝説の瞬間を生で一緒に過ごせるよう」ならば、時差も考慮に入れてくれ!なんてしょうもないことを思いながら、真夜中の布団の中でこっそり配信を見た。わーい!お祭りだ!ハピ!としか思っていなかった。なんの予感も感じとっていなかった。

ところがどっこいそこでスノストのデビューが発表されたわけですよ。発表されたときはスノストデビューおめでとうの気持ちも大きかった。けれど、時間が経つにつれてどんどんトラジャに対する気持ちが大きくなっていった。このグループの未来を見てみたいなと思うようになっていった。「8・8のあの時あの瞬間から」とは言い難いけれど、8・8は間違いなくわたしのTravis Japanへの想いを変える契機になった。

 

そして『虎者-NINJAPAN-』の申し込みが始まるタイミングで、ついにジャニーズJr.情報局に入会した。そのときはうみんちゅのことが気になっているタイミングだった。だけど悩みに悩んだ結果、わたしは好きなアーティストの欄に宮近海斗と打ち込んだ。Jr.の世界のことはこれっぽっちも分からなかったけれど、デビュー組よりも不安定だとは思っていた。そんな世界でも、変わらずここに存在していてくれそうだな、という不確かな信頼感が、わたしに宮近海斗の名前を選ばせた。

 

そんなある意味でゆったりした(一方的な)関係は、『調べるJ』のVOLCANOを見たときに変わった。初めて見たとき、あっ、ヤバいどうしようと思った。すごく大袈裟な言い方になってしまうけれど、神さまに触れてしまったと思った。パフォーマンスをする宮近くんの眼から、目が離せなかった。イントロからAメロの意志と諦念を同時に表現するかのような眼、サビに入るところで白く強く光る三白眼のような眼に、心まるごと捕えられてしまったみたいに感じて、何度繰り返し見てもそれを再生する手を止められなかった。

 

秋。ジャニオタ人生初の担降りを経験した。わたしの場合、担降りしたのは次に推したい人の追い上げがあったからというわけではなかった。降り先不在の担降りだった。でもジャニーズ沼から足を洗うつもりは毛頭なく、そうである以上はアイデンティティとして自担という存在が欲しかった。このため、次に誰を自担にするか?というひどくシステマティックな検討が始まった。

候補はちゃかちゃんとデビュー組の1人の2人だった。パフォーマンス、精神性、ビジュアル、その人を誇りに思えるか?その人を自担とする自分を誇りに思えるか?そして「自担が所属するグループを一番に推したい」という思い。既にデビューしていてここからもっと大きな舞台を目指していくグループか?それとも約束されているわけではないデビューを目指していくグループか?その違いは大きくて、検討する上で最も重要ともいえるファクターになった。

Jr.担というのはこれまでとはまた違う世界だろうなと予想できたので、そこを選ぶのはなんとなく勇気がいった。そしてそのときはまだ、ちゃかちゃんを信じられるという確証を持てていなかった(信じられる確証ってなんでしょう)。

それでも最終的には、Travis Japan宮近海斗担として共に彼ら7人の未来を見たいという気持ちの強さが、どんな懸念にも勝った。

宮近担爆誕の瞬間である。

 

そして、宮近担を自称しはじめたのと同時に願掛けというか。自分の胸の内にひとつ誓いを立てた。

「初めてのハリウッドに行くときは、Travis Japanの大切な日に立ち会うために」

ちょうど8・8の少し前に、LAに行ったんですよ。そのときは結構カツカツのスケジュールで、ハリウッドサインは見たもののハリウッドらしいところへは行けなかった。でも、そのとき行けなくてめちゃくちゃラッキーだったなって今は思う。

当時のわたしは今ほどトラジャに対して強い思いがあったわけじゃなかったから、ハリウッドと聞いてもピンとこなかった。今はこんなにハリウッドに夢を見ているのになあ。だから、あのとき何の気なしに行っちゃわなくて本当に良かった。これも何かの縁だから、トラジャが連れていってくれるその日まで、ハリウッドには足を踏み入れないようにしようと勝手に決めた。

 

今からそんなに遠くない未来のいつか、万感の思いでわたしはLAの空港に降り立つ。そこから車に揺られて小一時間。夢のHollywoodについにたどり着く。小洒落たカフェで、その場にそぐわない、溢れんばかりのドキドキを抱えながら、夜が来るのを静かに待つ。

そんな日が来ると、信じて待っていても良いですか?

 

 

さんせ〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!!